chirashi

エモーショナルな人生を

日記

インターネットに公開した文章のすべてを、多くの人に見られたいか? と問われると違う気がしている。仕事で書いた文章(たとえば、サービス告知など)が多くの人に読まれたり、育てようとおもった個人のサイトが育てば嬉しい。個人のブログやSNSは、だれでもみれる環境であっても、無闇に読まれたいわけではない。Webに公開するということは、見ず知らずの多くの人の目に触れる可能性があるわけだけれど、見ず知らずの人のことまで気にして書いているわけではない。いいねがほしいわけでも、ページビューがほしいわけでもない。少し違うな…… そういう承認は嬉しいけれど、それはたまたま得られた結果で、目的ではない。

ではどうしてわざわざ目に触れる場所で、記事を書くのだろう。ローカルのテキストエディタでも、手書きの日記帳でもこと足りる。それでもWebにあげる意味は、ブログを書く意味はなんだろう。ふと、考えている。

ちょっとだけよそ行きになることに答えがあるかもしれない。自分一人の世界を抜けて、知らない誰かに見られる感覚。家からコンビニに行くときに、すこしだけ自分を取り繕うような。部屋着ではない装いになること。会社に行くほどの装いではなく。

わたしは、ひとりでいることで元気を取り戻す、このご時世ではとても便利な性分だ。大勢で話してストレス発散するタイプではない。そんな性格なので、自分と向き合うとき、感情をだしたいとき、だれともわからぬ第三者発露するのが気持ちが良い。そんなときに、なんでも言える場であってほしいよブログは。

でも、つい、大勢に見られる前提で保険をかけてしまう。この文章は個人の見解です。