死について人生で一番意識をしたのは、がん告知を受けた3日後くらいだと思う。当日や翌日は現実とは思えなかった。3日後に行った旅先で、もう2度とこの場に来れないかもしれないと想像し、それはつまり将来を選べないことが死であるという理解が急に進み、涙が止まらなくなった。それから少し落ち着くと、自分のことよりも残される家族を心配した。残されたものは、死を受け入れて生き続けねばならぬのだ。わたしのせいで、家族が苦しむ不安。
そして、死を連想するものは避けるようになった。登場人物が死ぬ映画や本は見なくなった。黒いものを避けた。夫が知人の葬儀に行くことさえ、正直にいえば嫌だった。死の入り口に近づくように感じた。振り返ると、強いストレスから立ち直るための防衛だと思う。
自分の精神を守るために読んだ本の中で、死後の世界を連想することを知った。死は終わりではない、次の世界が続いている。宗教の知識は浅いが、そういう考え方で安らかになるなら思い込んだもの勝ちだ。家族は、わたしが思うより強いと、そう信じることが愛情だと考えた。仮にわたしがいなくても大丈夫、と良い意味で思えるようになった。
そうこうしているうちに、治療が落ち着き、また、自分の死は遠いものと感じるようになった。十代のころは、あまりに生温い世界に嫌気がさし「生きている意味なんてない、死んだほうがマシ」という感情を抱いていた。二十代半ばまでは死は遠いもので、自分は無敵だと思っていた。がんになって治療を経て、30歳になって、それに近い感情がまた、戻ったのだ。無敵だとは思わないが、まだまだ人生が続く感覚。
同世代の友だちの死があった。事故。あまりに早く急で、受け入れられなかったが、同時にもう、自分ごととは思わなかった。鈍感になることで、自分の心を守っていたのかもしれない。
とにかくわたしは、死を受け入れたつもりでいたが、そんなことはなく、「受け入れないこと」を糧に生きてきた。後悔しない人生を歩もうとしても、時がどんなに経っても、結局死は怖い。残されたものは悲しい。
ただひとつ言えるのは、病で死んでも負けではない。最期まで戦うのは、格好良い生き様だ。
義父が闘病をし、亡くなる中で、家族が死を受け入れることを体感した。二十歳ごろの友人の言葉を思い出す。「父ががんになって、最期は家族がひとつになってよかった」と。がんの良いところをあえて上げるなら、ゆっくりと最期を受け入れられることだ。そうでも思わなければ報われないでしょう?
がん患者として活動する際に、それは「仲間の死を受け入れること」だと覚悟を決めていた。実際、尊敬する人が何人か亡くなってきた。悲しくても、残されたものの使命を感じて、わたしは生きていく。
…… だとしても。やっぱり近くで活動をした仲間の死は受け入れづらい。虚しい。
最期まで戦ったこと、本当に格好良いと思いました。
安らかに。