chirashi

エモーショナルな人生を

福岡にきて1ヶ月

福岡に行きます」と記事を公開してからの間、怒涛の生活を送っていました。ふと気づけば、福岡に来て1ヶ月。引越しの様子や新居での生活をブログに書こうと思っていたのも束の間、色々なことが重なって、へとへとになっていました。やっとまとまった休みを取れたので、ここ最近のことを記事に書き残します。

非常に長いけれど「わたしは元気です、福岡で会いましょう」ということだけ言いたい。

猫2匹を連れて、嵐とともに引越し

2019年8月15日。新大阪〜博多間の新幹線は、台風10号の影響で完全運休。この日に予約していた京都〜博多間の移動を、報道後すぐに変更し、翌日の始発にしました。もし運休やダイヤ変更のアナウンスが当日だったら何もかも破綻していたので、計画運休は本当に助かった… 猫2匹と新幹線に閉じ込められる可能性を思うと、あまりにゾッとします。

荷積みは予定通りその日のうちに終わり、空っぽになった旧居で、人間2人と猫2匹で一晩過ごしました。エアコンと、電気・水道の契約は残していたので、夜もなんとか耐えられました。ただ、この時点で猫の八(黒いほう)はストレスMAXで、荷積みをしている際中は息を切らしているし(エアコンのない部屋に閉じ込めたのも影響していそう)、その後もソワソワしているしで心が痛んだ。そんな中、Q(茶色のほう)は物怖じせず呑気にしてたので、それは救いでした。ただ、この時点で何かを後悔してもどうすることもできないので、近所のスーパーで買ったお酒を飲み、キャンプ用のマットで眠りにつきました。それにしても、夫の山グッズがこんなに活躍するとは。

旧居から新居までは4時間弱。新幹線はグリーンを2席取りました。これは猫を連れて長距離の引っ越しを経験した同僚のアドバイス。グリーンは、乗客が少なく座席が広く、2席ならびで確保したことも手伝い、まわりへの迷惑は軽減できたかなと思います。

移動中は、八の荒い呼吸と低い鳴き声に胸を締め付けられながら、しかしもう後戻りはできないので、ただただ無事を祈るしかありませんでした。朝ごはんのパンが全然のどを通らなくて、この日が人間にとっても猫にとってもストレスのピークだったなと思います。

リモートワーク

新居では、リモートワークをするために仕事部屋を設けました。2台デスクを買い足し、ディスプレイを会社から送ってもらい準備は万全。不安だったネット回線も速く安定していて、環境は大満足。PCと回線さえあれば仕事はできるけれど、ウォーターサーバーやコーヒーマシンなど、快適に過ごす(自分たちのパフォーマンスを安定させる)ための道具もいくつか揃えました。

肝心の仕事は、同僚たちの理解とサポートがあって、今のところは何の不自由もなく仕事をしています(と振り返り会などでも話題に出たので、同僚もそう思っていると信じている)。むしろ、わたしにとっては良いところの方が圧倒的に多い。

ひとつは通勤がないこと。疲労で準備に時間がかかり遅刻することもないし、暑くて化粧が崩れることもないし、仕事だけに集中できる。iPadで常時接続してみたり、会社と同じチャイムを鳴らすことで、仕事の量は今までと同じくらいを維持できているかなとと思います。

もうひとつ、わたしは空気を読みすぎたり感情に影響を受けすぎてしまうため、テキストでのコミュニケーションやオンラインでのMTGの方が言いたいことを言いやすい(ということにリモートになってから気づきました)。わたし自身の変化があったポイントとして、できるだけ齟齬を減らしたりお互いの理解を早めるために「自分の意見をまとめてから話す」ということを心がけ始めたので、これも効いているのかもしれない。もちろん、キャラクターやメンバーとの相性で状況は変わるだろうけれど。

また、引越し後1ヶ月の間に、出張・私用で2回(合計4泊)ほど京都に行っていることもあり、リアルに顔を合わせたのも活きていそう。とはいえ、まだ1ヶ月なので、今後も色々なことを試してうまくやっていきたいなと思います。

ところで、移動でつらそうだった猫は、すっかり新居に慣れています。ほんとうに良かった。仕事中に猫が見れて幸せです。

義父の死去

9月6日、義父は眠るように生涯を終えました。最後を迎えるまでの数日、夫は毎日病院へ行っていました。意地っ張りな親子だったけれど、ほんの少しでも、そういう時間があって良かったとわたしは思っています。

引越しを率先して「行こう」と言ったのはわたしでした。行かない決断より行く決断の方が後悔が少ないと思っていたし、新しいことをする方がわたしたち夫婦にはあっていると考えていたから。だけど、本当にそれが幸せになるかはわかりませんでした。地元に帰って親の介護をすることや、ペットを連れて引っ越すことや、リモートワークに切り替えることは、さまざまな価値観が複合的に絡み合っていて、最終的な決断は直感だけでした。

そんなわけで、急に決めた引越しで、会社にわがままを言い、自分たちの都合もギリギリで、たくさんの無理をしました。親の最期を看取ることについては、いろんな考え方があるだろうけれど、わたしはこの選択をして良かった。夫が喪主の挨拶で「最後の最後に父が、みんなを1つにしてくれた」と言ったのを聞いて、確信しました。

もともと、義父の介護を理由に決めた引越しとリモートワークでしたが、あっという間にそれは終わってしまいました。それについては、わたしも夫も、何より義父も残念だと思います。

義父の体調が急変したとき、わたしは京都で自分の病院に行っていました。術後4年の検査を無事に終えて、また1年生き延びました。これからは、義父が通っていた病院に転院して、義父の分まで長生きしたいなと思います。

今後について

あまりに怒涛だったので、しばらくはのんびりしたい… この3日間(今日まで)久しぶりに何もない休みでのんびりできたので、だいぶ元気になりました。福岡の家は2年で借りてしまったし、2年は住み続けたい気持ちです。また予想だにしないことが起きるのだろうけれど(それはそれで楽しい)

落ち着いて、そろそろ自分のこともしたいなと思ってます。AFTER5では2本目の記事も公開できたし、今後はより積極的に活動していきます。

福岡での交友関係も広げ始めました。福岡の方や、福岡に遊びに来た方は、ぜひお声がけください。