chirashi

エモーショナルな人生を

夫とトレイルランニング

夫が100mileのレースを完走した。約160km。フルマラソン4回ぶん近い。走らないわたしには全く理解のできない長さ。しかも、アメリカのサンディエゴで。コースは砂漠や森ばかりで、昼間は40℃近く夜は急激に冷え込む。ほんとうに、わけがわからない。

4、5年ほど前から、夫はトレイルランニングに夢中である。わたしより9歳年上の夫は、出会ったころすでに30歳を超えていた。それまでもその当時も、運動なんて一切しない人だった。さらには長らく喫煙者だった。そんなひとが35才を超えたくらいで、突然、トレランを始めた。毎日のように走り続け、いつしか呼吸器をいたわることを優先して、煙草もやめた。

初めて出たトレランのレースは、2015年5月、比叡山だった。5月とは思えない暑さで、完走者も半分ほどだった(ような気がする)その大会で、夫はギリギリ最後の完走者になった。時間制限があって、少しでも超えると足切りされリタイヤとなってしまうのだ。でもなんとか、多くのボランティアスタッフに支えられながら、初参加で完走していた。わたしは、半ば諦めながらもゴールで帰りを待っていた。

その3日後から、わたしは抗がん剤治療をする予定だった。だから、なのかどうかは分からないけれど、ほんとうにギリギリで夫はゴールしたのであった。そこから約半年の間、わたしは抗がん剤の副作用と戦うことになったが、「命のためならつらくても耐えられる。でも自らつらいことをするなんて、まっぴらごめん」と思い続けていたし、いまもそう思う。過酷な挑戦をできる人は、ほんとうにすごい。

そして去年、夫はずっと憧れていたという100mileのレースに挑戦した。初めての海外レース。せっかくだし、というわけで、わたしも観光ついでに同行した。ふたりでロサンゼルスを観光した。レースの最中は、現地の日本人の方の心遣いで、いくつかのエイドステーションを回って応援した。が、残り30kmくらいのところで、時間オーバーとなってしまった。現地で合流した夫の友人は、2度目の完走をしていた。

今年は、同じレースに一人で行った。去年は一緒にいたわたしも、友人も、現地で支えてくれた日本人も、いない。ゴール後にLINEで通話をしたところ、膝がもうボロボロだったそうだ。でも、なんとか、雪辱を果たして完走したらしい。よかった。

初めてのレースのとき、夫は参加を辞めようかと考えたそうだ。がん治療を控える妻がいる状態で、自分は遊んでいるべきでないと思ったらしい。でも当時のわたしは、絶対に走るべきだと言った(正直なところ、記憶は曖昧だけれど)。理由はひとつで、もしわたしに何かあったとしても、悲しみすぎないように、没頭できる趣味があったほうが良いと思っていたのである。

それから3年が経って、わたしはすっかり元気になった。夫は変わらずトレランを生きがいとしている。正直なところ、ひとりでアメリカのレースに行くのは反対しようかとも思った。けれど、そんな3年前のことを思い出し、笑顔で送り出したのであった。こういうとき、わたしにできるのは、応援することくらいなものだ。まわりの人から、心配だと言われたり、不安じゃないの?とか聞かれるが、そんなの、心配で当たり前である。だからこそ、わたしだけは絶対に最後まで応援していないといけないと思っている。

さて、明日はバランスの取れた和食を作って帰りを待とう。