病気であろうがなかろうが、自分の人生に主体性を持つのは意外とむずかしい。上司に言われた仕事だけをやっていた方が楽だし、進路はみんなと同じ方が安心できるし、毎食宅配の弁当なら何も考えなくて済む。
結婚をしたら子どもを産んで育てたほうがいいだとか、スタートアップでハードシングスに立ち向かうよりも家族をサポートした方がいいだとか、そういうコメントを聞く機会は何度もあった。その価値観が悪いわけじゃない。「自分の人生に納得して生きること」が大事で、わたしのやりたいことや価値観が別のところにあるだけだ。だけれど、まわりと違う決断をするとき、善意のアドバイスをもらったとき、心が折れそうになる。
その程度の覚悟かと言われればそうかもしれないし、流されているようじゃ自分の人生を生きられないよと言われればそうかもしれない。本当に? それは世の中がマジョリティのために成り立っていたから、という気もする。ここについてはまだうまく言語化できていない。ひとつだけ確かなのは、自分の人生に責任を取れるのは自分しかいない。
誤解を恐れずに言えば、がんになったとき、治療が最優先になるから楽だと思った。仕事と家事を両立するのがしんどすぎるとか、求められる仕事をできていないんじゃないかとか、そういう不安が全部消えた。それは「言われた治療を言われた通りにやって、生きていることが最優先」だったからだ。人生に主体性を持ち続けるのは、時としてしんどい。
わたしは治療の前に、妊よう性温存をしなかった。それはつまり「自分で子どもを産むことを諦める」という決断で、今もその決断には後悔していない。もともと夫と2人(と猫)の暮らしが幸せだったし、今となってもその生活はやっぱり幸せだ。でも、治療の前にそのことを知らなかったらどうだろう? 治療の後に「もう自分自身の体で子どもをもうけられないこと」を聞いたら受け入れられただろうか。
昨日、CancerWithのTwitterスペース #教えて勝俣先生 AYA世代編で、「患者さんが納得すること」と「そのための事前の情報」が大事という話を伺った。主治医を中心とした医療者は適切な情報を出さなければいけないし、まわりの家族や友人たちも患者さん個人を尊重していく必要がある。ついついお節介で「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」というのは、時として不安な患者さんをより苦しめることになる。
がんになると、人生の優先順位が大きく変わる。治療中は治療を優先する必要があるけれど、治療が終わると日常生活が戻ってくる。現状、全がんの5年生存率は全体で70%ほどで、それは「がんになった後も人生が続く」ということだ。
わたしがずっと心に刻んでいるのは、病気になっても、どんなに若くても、一人の人間として「人生の主体性を諦めない」ということである。いま、好きな仕事をしているし、好きな家に住んで、猫アレルギーになりながらも猫を飼っている。これがわたしの人生。
生きたい人生を、諦めずに。
昨日21時より行われた #教えて勝俣先生 AYA世代のがんを考える会はこちらからアーカイブが聴けます!聞き逃してしまった方もぜひどうぞ☺️ https://t.co/CosNOsppBU
— CancerWith|オンラインがん相談サービス (@cancerwithcom) 2022年3月7日