chirashi

エモーショナルな人生を

努力と安心の10年

この10年を一言で表すなら? という問いに対して、夫は「安心」と、わたしは「努力」と答えた。

夫の「44年間生きてきて、この10年が一番安心していた」という言葉は嬉しかったと同時に、わたしの「夫婦生活がうまくいくよう最優先で努力する」という試みは間違っていなかったんだと思った。

結婚生活で一つ目のターニングポイントは、わたしの乳がん罹患で間違いない。だけれど、その受け取り方はふたりで違っていた。抗がん剤に合わせてお風呂場でバリカンで髪を刈りあったことを、夫は印象的なエピソードとして挙げた。笑い合いながら髪を刈りあったあのとき、心理的安全性を感じ、「こんなにも困難なときに笑っていられるなら、これから起きるどんな苦労も乗り越えられると思った」らしい。

一方でわたしは、まったく別のことを思っていた。

結婚当時のわたしは、自分の価値を「若くて元気で、家事も仕事もできること」だと信じて疑っていなかった。3年後に乳がんになり、その価値は全部消えた。元気ではないし、働くことも家事もままならない。髪もない。平たく言えば、女性的な魅力はもうなくなるかもしれない。わたしの価値はなんだろう? でも、夫はずっと、そばにいてくれた。わたしの価値は年齢でもお金を稼ぐことでも家事ができることでもない。そもそも、価値なんてものを気にしているのは自分だけで、まったく意味はなかった。

二つ目のターニングポイントは、福岡に引っ越したことである。これは、夫婦というより、わたしにとってのターニングポイントかもしれない。

引っ越しは、とにかく怒涛だった。2019年の6月末に覚悟を決め、数日後には会社にリモートワークの相談をし、1週間後には家を決めた。覚悟を決めた1ヶ月半後、8月の半ばには、実際に引っ越した。いまならもう、絶対にこなしたくないスケジュールである。

夫は引っ越しに後ろ向きだった。それでもわたしの「絶対に引っ越したほうがいい」という気概に圧倒され、鬼のスケジュールを乗り切った。そして、すっかり今では福岡生活を2人ともエンジョイしている。引っ越す直前、京都での生活は色々と大変で疲弊していたが、そういうものがリセットされた。何より、福岡の街が、リモートワークが、楽しい。

人生を自分(たち)の意思で動かしていい。そういうふうに思った。

思い返してみると、わたしの20代は受け入れざるを得ないハードシングスが続いていた。東日本大震災があったこと、乳がんになったこと。その間に結婚があって、わたしにとっての「結婚」は、逃げることのできないハードシングスと強く紐づいていた。福岡に来ることを決め、夫婦で相談し、会社に交渉をし、結果これまでより幸せに生きている。自分の人生を、自分たちの人生を、意思を持って動かしていいと気づいた。いや、元々わかっていたのに、自分の心を守るため、自主性に蓋をしていたのかもしれない。

ところで、冒頭の言葉をそれぞれ言い換えれば、安心は「心理的安全性の獲得」で、努力は「試行し続けること」だ。ふたりで努力し続けることで安心を得た。わたしは過程を、夫は結果を表現しているだけで、同じようなことを言っている、のかもしれない。

兎にも角にも、2人の力で生き延びた10年。次の10年は、自分たちの意思で、さらに人生をドライブできたらいい。

10周年ディナーを食べました。