chirashi

エモーショナルな人生を

人生を決めること

進路を決めるときや結婚をするとき、そういった人生における大きな決断を「自分で決めなさい」と、わたしは教えられてきた。仕事でも家庭でも「主体的であること」が重要だと思っていて、逆にいえば、主体的に動くのが難しい環境はよくないものだと思う。誰かに指図されて生きるのは窮屈で、自由であることが大事だと思っている。

2011年3月11日を境に、そういう価値観が揺らいだ。

当時京都で働いていたわたしの元に、妹が避難してきた。わたしたちの実家は福島で、地震とそのあとの原発事故による影響で、日常が失われた。大学卒業を控えた妹の就職先も無期延期になったらしい。もっとも、いわゆるブラックのような社員教育を入社前から受けていたようで、そこから逃げられて良かったといまでは思う。

妹はそのまま京都に家を借り、仕事を始めた。彼女が望んでいたかどうかはさておき、そうやって生きるしかなかったのだと思う。わたしはそれを全力で支えるしかなかった。賃貸の保証人になろうとしたところ、当時新卒2年目の社会人だったわたしに対し、不動産屋が明らかに嫌な顔をされたのが思い出である。年齢のせいか収入のせいか性別のせいか、はたまた出身地のせいかはわからないし、すべては思い込みかもしれないけれど。

そのあと数年して、妹は自分の意思で引越し、結婚をし、仕事を辞めた。

選ばざるを得なかった人生を、自分の力で自分ものにするのはエネルギーと才能が必要だと思う。人生は、幸せでいることが重要だ。妹はまわりに愛される才能が天才的なので、マイナスからスタートした震災後の人生を、自分の力で大いなるプラスに変えたようだった。

これからは、自分の意思で選べるような人生を送ってほしい。