chirashi

エモーショナルな人生を

ブログを書くこと

週に一度はブログを書くという目標を立てた。

週に一度の定義はいくつかあるだろうけれど、前回の記事から7日以内に記事を書くということをルールにしようと思っていた。前回の記事は1月9日なので、今日のうちに記事を書いておけばギリギリセーフ、ということにしたい。

ブログを書くの定義もまたいくつかあるが、わたし個人の名義のはてなブログで記事を公開すること、ということにする。もとの意図は「きちんと思考して言語化すること」と「記録し発信すること」にあるので、記事を書いても下書きだと発信にはならない。あとは、仕事で記事を書くことは多いが、自分自身だけの思考とはちょっと意味が違ってくる。

細かいことはさておき、年始にはあったモチベーションが、すっかり落ちていた。自分なりに理由を考えてみる。

ひとつは、ストレスがたまってくると、何かを思考する容量が極端に減って全くやる気が出ないということ。そして、あらゆる発信を億劫に感じてしまうということ。この記事を書きながら気づいたことだが、記事を書いて公開するのというのは、思考し、自分自身の考えをまとめ(場合によっては根拠などの情報を収集し)、どういう言葉にし、それを公開するとどういう意見がくるかを想像するところまでが1セットである(と、わたしは考えているようだ)。思考の時点で疲弊しきっているので、考えをまとめることも、意見を想定することも億劫になる。

ちなみに、SNSだともう少し気軽にできそうではある。インスタに飼い猫の写真と絵文字を添えるのは余裕。ブログだとそれができないのはなぜだろう? 炎上に対する恐怖だろうか。あるいは、ほぼ文章で構成されるので、それなりにきれいな写真をインスタにあげるように、それなりにきれいな文章を目指し過ぎているのかもしれない。

もうひとつは、疲れると人目にふれる場所では安全に行動しすぎる、ということもありそうに思う。インターネットで安全に行動するには、できるだけ何も言わないことだと思っているので、どうしても何もいえなくなってしまうのではないか。

最後に、感情の結論をだすことにもエネルギーを使うということ。わたしには、何かが好きだとか嫌いとか、わかっているはずなのに結論を出さずに見て見ぬ振りをする感情がたくさんある。本当は思うところあるけれど、いまその感情と面と向かって対峙するエネルギーはないので、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてしまうこと。余裕があるときは、そういうものをひとつずつ見つけては、すぐに心の整理をしていたが、日々に追われると蓋をしがちで、ブログを書くより心の整理を優先するので時間は圧迫されるのだ。

他人と会話することでストレスを発散するひと、一人になることでストレスを発散するひと、がいるように、ブログを書いて発散するひとそうでないひとがいるようだな、というところまで考えて、今日のところはおしまい。